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当面自己使用の必要性はないが「朽廃」の著しい賃貸建物について1500万円の立退料の提供による解約の正当事由の補完を認めた事例です。1500万円は借家権価格ではありません。借家人の申告所得の約4年分というのがその根拠です。

 第28条(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)

建物の賃貸人による第26条第1項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。

 東京高等裁判所 判決 平成3年7月16日

 本件解約申入れの正当事由の有無について検討する。

 証人(いずれも当審)及び控訴人本人(原審及び当審)の各供述並びに鑑定の結果(原審)によると、次の事実を認めることができる。

 本件建物は、外苑東通りに面する間口約5メートル、奥行き約12メートルの被控訴人所有土地に建ち、南隣りの建物とは密接している。

 控訴人は、長年、本件建物において家族で小規模な電器店を経営し、1階を店舗及び倉庫に、2階を家族(妻及び電器会社勤務の長男)との住居に使用している。

電器店の顧客は、近隣の一般家庭や会社等が主であり、控訴人が平成元年までの3年間に申告した所得金額は毎年300万円前後から500万円近くである。

 本件建物は、明治37,8年ころに建築されたもので、老朽化が著しい。

 すなわち、基礎は大谷石による布基礎であるが、北側の基礎には不同沈下が見られ、一部に補強箇所もある。

 土台は、北側で腐蝕が進み、補強されており、南側も、直接現認はできないが、建物が南傾していることからして土台の腐蝕は著しいと推定される。

 柱は、北側の土台との接合部で腐蝕しているものがあるほか、ほとんどの柱が2度ないし5度くらい傾き、その傾斜の向きも南北不同である。

 床は、一部に傾斜が見られるが、根太の落下その他の床組の朽廃に起因すると認められるところはない。

 梁には、構造部材として致命的欠陥といえる割れ等はない。

 外壁の下見板は破損修補箇所が多く、1階西側庇のモルタルは剥離している。

 屋根の野地板、垂木等は腐朽して瓦がずれ、西側軒は瓦が落下している。

 本件建物の一階北東部分は北側に傾斜し、2階南側部分は南側に傾斜して南側隣家(現在空家)の2階に軒が接し、隣家の2階軒樋を押しつぶしている。

 本件建物の傾斜のために南側隣家が直ちに傾いたり倒壊したりすることはないが、近い将来に軒先破損や壁クラックを引き起こす可能性が十分ある。

 本件建物は、継手が金具でなく、ほぞ止めであるため、耐力があり、大きな災害でもなければ差し迫って倒壊する危険はないが、2階南側部分が接している南側隣家が除去されると、傾斜が進行する。

 また、本件建物の傾斜を是正し垂直に戻すことは、梁と柱との仕口や梁と梁との継手が外れたり壊れたりするなどの危険があり困難である。

現状のまま、雨漏り、外壁の破損箇所、床、壁、天井の部分的取替え等の最低の補修を行いつつ使用することを前提に、あえて今後の使用に耐える年数を予測すれば、昭和63年の時点で5年ないし7年程度と予測されたが、腐朽箇所が建物の基本構造部の全体にわたっているため個別の部分的補修によって維持しうる段階は過ぎているとみられる。

 大修繕をするとすれば、基礎の設置、土台の入れ替え、柱等の補強、外壁の張り替え、屋根の垂木等の交換と葺き替えといった工事が必要であり、技術的には可能なものの、経済的には、新築費用(昭和63年当時で3.3平方メートル当たり40万円ないし45万円。本件建物の床面積に換算すると770万円ないし870万円)を超える費用がかかり、最低でも5,600万円は必要であると見込まれる。

本件建物周辺は、低中層の事務所ビルや小売店舗が立ち並ぶ商業地域であるが、東京都による外苑東通りの道路拡幅計画があり、これが実施されると、本件建物敷地のうち道路から奥行き9メートルの部分までは道路敷地に取り込まれる。

しかし、現在のところ、右道路拡幅の実施時期については確たる見通しはない。

被控訴人は、信濃町界隈に千数百坪余りの土地を所有しており、本件建物又はその敷地をいま使用する必要があるわけではない。

専ら本件建物が倒壊する危険のあることが明渡しを求める理由であり、明渡しを受けたときは、跡地を自動車2,3台分の駐車場として貸す予定である。

被控訴人としては、道路拡幅計画があることと採算上の理由から、本件建物について今後手入れをするつもりはない。

以上の事実によると、本件建物は、基本構造部を含めて全体として老朽化が顕著であり、災害でもなければ差し迫って倒壊することはないにせよ、このまま推移すれば遠からず朽廃に達することが必至であるのに加えて、傾斜のために南側隣家に損傷を及ぼし、今後更にその拡大が予想される状態であり、南側隣家が撤去された場合には、支えを失って傾斜が進み、近隣等に倒壊の不安を与えることになる。

そして、右老朽化の程度と大修繕に要する費用等からみて、社会経済的には、もはや大修繕をしてまでその修復、維持を図るべきことを被控訴人に要求するのは無理であるといわなければならない。

本件建物について被控訴人がこれまで十分な修繕を行ってきたとは認めがたいけれども、右老朽化はおおむね経年による不可避のものであり、控訴人としても、比較的安い賃料の下で、進んで修繕の要求をすることもなく自ら応急の修理をして間に合わせてきたことが証拠上うかがわれるのであって、本件建物の老朽化について賃貸借当事者のいずれか一方のみに帰責することは相当でない。

してみると、被控訴人には本件建物又はその敷地を自己使用する等の必要性はないが、右のような建物の状況に照らし、本件賃貸借契約を解約することが合理性ないし社会的相当性を欠くということはできない。

しかし、他方、控訴人が他に代替建物を所有していること又はこれを容易に取得できることを認めうる証拠はなく、本件建物を明け渡すこととなった場合に控訴人の被る生活上及び営業上の打撃が深刻であることは、前記認定事実から推認できるところである。

したがって、その打撃に対する配慮を全くせずして即時明渡しを求めることは酷に過ぎるものであり、本件建物の老朽度を考慮しても直ちに正当事由を具備するとはいいがたい。

先に認定したように、本件建物は部分的補修によって維持しうる段階を既に過ぎており大修繕を行うことも無理であるが、もし最低の補修を加えつつ使用するとしても、使用可能期間は昭和63年から5年ないし7年程度と予測されるものである。

この点を考慮すると、本件の事実関係の下においては、右の使用可能期間に対して応分の金銭補償をすることにより、正当事由が補完されるものというべきであり、その補償額は、いわゆる借家権価格を基礎にするのではなく、控訴人が本件建物で得る収入と残された使用可能期間を基礎にして、年間収入の4年分程度を支払うことをもって足りると認めるのが相当である。

そして、前記認定の控訴人の近年の申告所得金額の平均は、年額ほぼ400万円弱であるので、その約4年分に当たる1500万円が補償としての相当額となる。

結局、被控訴人の本件解約申入れは、右1500万円を支払うことによって正当事由を具備するものと認められ、本件解約申入れに基づく明渡請求は、右金員との引換給付を求める限度において認容すべきである。

弁護士中山知行